Loading the player...


INFO:
知られざるロシア革命の犠牲者 〜ヨーロッパ一美しいといわれたプリンセス〜 11月1日 ドイツ生まれのロシア大公妃、エリザヴェータ・フョードロヴナが生まれた日。 (Elizaveta Fëdorovna, 1864年11月1日 - 1918年7月18日) ロシア皇帝アレクサンドル2世の五男セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公の妃。 最後のロシア皇帝ニコライ2世の皇后アレクサンドラ(アリックス)の姉。正教会で聖人(新致命者)。愛称は「エラ」(Ella)。母と妹をジフテリアで失い、祖母ヴィクトリア女王の元で育てられた。 ダルムシュタット=ベッスンゲン出身。 ヘッセン大公ルートヴィヒ4世とその妃でヴィクトリア女王の王女アリスの次女として誕生。 慈愛に溢れ、美貌の誉れも高かったエラは、多くの歴史家や同時代人によって、当時のヨーロッパで最も美しい女性の一人とされている。 従兄ヴィルヘルム(後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世)は、11歳頃のエラに初めて会い、エラの美しさに圧倒された。 のちにバーデン大公となるフリードリヒ大公子も一目惚れした。 さらには、イギリスの上級貴族の息子チャールズ・モンタギュー卿も彼女に恋をしたが、 いずれも敗退した。 エラが気に入ったのは、幼馴染で父の従弟にあたるロシア皇族のセルゲイ大公(皇帝アレクサンドル2世の五男)。 1884年、結婚。が、2人の間に子は出来なかった。 その代わり、義弟パーヴェル大公が再婚するため、彼の2人の子、マリヤ大公女とドミトリー大公を引き取り、大切に養育した。 1905年、夫セルゲイが社会革命党員イヴァン・カリャーエフの投じた爆弾で殺された。この時エリザヴェータは、雪原に散らばった夫の破片を血まみれになって必死に拾い集めた。 さらに捕らえられたカリャーエフに自ら面会し、彼を赦し、皇帝ニコライ2世にカリャーエフへの恩赦を願った。(結局カリャーエフは処刑されている)。 1909年、身の回りの宝石類を売り払うと、モスクワ近郊のオルドィンカに土地を買い、修道院を建てて、慈善活動と救護活動に専念するようになる。自ら修道院長となり、この修道院は、1911年には正式にマルファ=マリーヤ修道院となり、病院も併設された。 ロシア革命の際、国外逃亡を勧められるも断固として拒否。ロシアに留まった。 1918年、ボリシェーヴィキにより、ほかの皇族らとともに郊外の廃坑へ突き落され、手榴弾を投げ込まれて殺害された。ある皇族の頭には包帯が巻かれていたが、エラが最後の力を振り絞って介抱したたされている。 享年53歳。 のちに彼女の生前の遺志に従い、エルサレムのマリア・マグダレーナ教会に埋葬された。 ソ連崩壊直後の1992年、エリザヴェータは正教会によって聖女に列せられた。彼女の創設したマルファ=マリーヤ修道院は現在も存続している。